仏教の正念からマインドフルネスは宗教的な部分を排除したもので受け入れやすいもの?
仏教界でサティの和訳として使われる「正念」。この正念から宗教的な要素を廃止し、瞑想にフォーカスし、メソッドにしたものが「マインドフルネス」と言われています。
似て非なるものと言われる両者ですが、結局のところ大きな違いや期待される効果などに大きな違いはありません。
仏教では「悟る」という言葉をよく耳にしますが、悟りに至るまでの八正道(はっしょうどう)があり、その中の一つに「正念」という言葉が使われたり、はたまた皆さんも聴き慣れた言葉であれば「正念場」という言葉もありますが、意味としては「邪念にとらわれる事なく、仏道に励む」という意味があるそうです。
そのため、正念場というのは、邪念に囚われず、正気を持って臨む必要がある場面という意味になるという事だそうです。
八正道には、正念の他に、
- 正見(しょうけん)
- 正思惟(しょうしい)
- 正語(しょうご)
- 正業(しょうごう)
- 正命(しょうみょう)
- 正精進(しょうしょうじん)
- 正定(しょうじょう)
という8つの正しい視方、言葉遣い、生活などについて説いてくれています。
仏教由来の瞑想法マインドフルネスの価値
仏教とも密接な繋がりがあるマインドフルネスですが、誕生はアメリカの分子生物学者と精神科医でもあるジョン・カバット・ジンによって1979年に提唱されたと言われていますので、日本発祥ではありません。
しかし、Googleなどのアメリカの大手企業だけでなく、最近では多くの日本人にも受け入れられ始めているのは、日本古来の仏教との繋がりがあるからだと個人的には感じています。
マインドフルネスは、いわゆる「悟り」を目的にしたものではなく、「今ここ」に集中し瞑想状態に入る事により、心の平穏を持つことに価値を置いています。
そのため、
「なんだかアイデアがふつふつと湧き出てくる」
という事が直接的に起きるわけではありません、むしろもしそのような状態になっているとすれば、間接的な効果だと思います。
マインドフルネスは、雑念を払い、今ここに集中するため一言で言えば「心の平穏を保てる」のです。心の平穏を保てる事は言葉で言い表すのが難しいくらい、とても大きな価値があります。
心が平穏という事は、
「怒りの感情が湧きにくい」
「怒りの感情を客観視できる可能性がある」
「怒りの感情を処理しやすくなる」
という事です、人間の行動で一番自滅する感情は??と言えば「怒り」だと個人的には思っています。
怒れば全てが台無しに・・・
ちょっと例が悪いですが、殺人を例に挙げて怒りの感情がいかに破滅的か??を考えてみたいのですが、殺人している人の99%は「最初から殺そうと思って殺した」という人はいないのではないでしょうか?
計画殺人といっても、最初から殺そうと思っていたわけではなく、おそらくいつかの時点で「あいつマジで殺す」と怒りの感情に支配された事で、計画を立て始めたのでは無いでしょうか。
また、突発的な怒りがこみ上げてきて「殺人に至った」という事も多いはずです、よくニュースなどで犯罪者のコメントで「殺すつもりはなかった・・」と耳にしますが、おそらくほとんど本音なのでは無いでしょうか。
それくらい怒りという感情は、人生を変えてしまうくらいの感情で、この感情をいかに処理するか??は言い換えれば「自分の人生を成功させるか」に大きな影響があると言っても良いのでは無いでしょうか。
マインドフルネスが成功の鍵となる??
ここまで見てきた通り、マインドフルネスによって心の平穏を手に入れたり、感情コントロールが上手に出来るようになれば、自分の人生を支配するかもしれない怒りをはじめ感情をコントロールし、そして自分で臨む人生へと変化させていく事が出来る。
そう考えると、マインドフルネスが成功の扉を開くマスターキーになるのでは無いでしょうか?
瞑想やヨガなどでも、同じような効果が得られやすいとは思うのですが、マインドフルネスを推薦する理由としては、
とにかく、簡単
だからです。
15分から30分、少しのスキマ時間に行えて、しかもゲーム感覚で行っていれば、体感覚も短くなりますので、心のエクササイズと思って取り組んでみてはいかがでしょうか?
具体的な取り組み方については、
こちらの過去記事でまとめていますので、合わせてお読みいただければと思います。